漢字の読み書きは得意だろうか。
宮崎駿最新作『君たちはどう生きるか』は記憶に新しいが、同じくスタジオジブリの巨匠高畑勲の『おもひでぽろぽろ』にこんな言葉がある。
「分数の割り算がすんなりできた人は、そのあとの人生もすんなりいくらしいのよ」
教わったことを難しく考えずに素直に出来る人間は、社会を生き抜く術も簡単に会得できるという趣旨だろう。
元より教育論者の中にはこれに対して否定的な意見を持つ方も少なくないが、ここではその賛否というより議論を他の場に持ち込みたい。
漢字の読み書き、たとえば「七夕」を素直に読むことができただろうか。すでにゲシュタルト崩壊しそうなほど簡単な姿形をするこの漢字の読み方が、幼い自分にはどうも納得がいかなかった。多くの漢字はそう読むのだと納得できても、一年生で習うような平易な漢字が想像もつかない読み仮名を持っているのが気に食わなかった。
七夕の起源を調べるとすぐに奈良時代に中国より伝わった乞巧奠という行事の存在を知るだろうが、どうやら中国から七夕伝説が伝来する以前から日本には「棚機女(たなばたつめ)」という「機屋(はたや)」の女性に関する伝承があった。神のための着物を織って供え、豊作を祈るこの女性が用いた織り機の名称が「棚機(たなばた)」だったという。
七夕に関しての自身の興味をさらに引き立て、民俗学への興味まで駆り立てた著者が高田崇史である。講談社「メフィスト賞」を受賞したQEDシリーズや毒草師シリーズでは純粋な歴史ではなく七夕のような一見謎にも思わないいわゆる「民俗」観を掘り下げる。極言すれば七夕が日本神話、天皇と豪族の勢力図から派生した陰険な伝説、さらには呪いですらあったといった斬新な考証は誰もが知る民謡「たなばたさま」にまで波及する。
書籍レビューサイトで見かけた言葉を借りるなら、「もっと言葉に心を寄せてみようと思」わせる名著で、変化する心境で見上げた七夕の東京の曇天は幾分か情緒を増したように思えた。
とっておきの米を戸棚から取り出す。
今日も米を炊こう。
それも土鍋で。
七夕と言えばそうめんのイメージが根付いているが、これも中国で病を避けるまじないとして食された索餅に由来する。ただそうめんは昼に食べた上夕食には物足りないため、とっておきの米に合わせて漬け込んでおいた唐揚げの用意を始める。沢山食べてスタミナをつければ、一段と厳しさを増す夏の暑さを退けるまじないにもなり得よう。
30分浸水させた米を火にかけ、醤油、麦焼酎、生姜、にんにく、塩胡椒に漬け込んだ鶏肉をとりだし、片栗粉をまとわせる。片栗粉のみの衣にすることで、山賊焼や竜田焼きのようにザクザクした食感になる。
タイマーを止め米を蒸らす間に、高温に熱した油に鶏肉を浸からせていく。唐揚げは二度揚げが良いと言われるが、片栗粉のみの衣は二度揚げせずとも心地よい食感を届けてくれよう。
蒸らしも終わり、揚がった唐揚げとともに食卓へ運ぶ。
茶碗に装った米は、眩しく際立った輝きにみずみずしさといくらかの儚さを持ち合わせていた。
食前の挨拶を済ませ、米を噛む。繊細になった心持ちで食した米の粒感は、瞬間的に眼前に星空を見せた。じわじわと広がる甘さは無類の感動を与えてくれた。
唐揚げとともに食べるとその甘さは増し、ほのかに香る麦焼酎が気分を良くした。
今日食べた米は鳥取県産「星空舞」。全国星空継続観察(環境省)で何度も日本一に輝いた鳥取県は、どの市町村からも天の川が見え、夜空を見上げれば星に手が届きそうなほど。そんな星取県の澄みきった空気と豊かな自然から生まれた、星のように輝くお米。30年もの歳月を費やし開発された「星空舞」は農家に生まれ、家族が天候に左右され、苦労している様子を見ながら育った開発担当者の「天候に恵まれない年でも、倒伏や病気に強く、美味しさを損なわない、生産者や消費者に喜ばれる品種を作りたい」という思いの結実だ。通常の品種育成とは異なり、5年かけて同じ父親を交配する「戻し交配育種」という特殊な方法で生まれた。
小学生でもインターネットに触れることが当たり前となった世の中では、回り道をしても生まれた好奇心に従って生きることが、なんでもない日に情緒ある生活を送るヒントなのではないだろうか。
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