薫風の祝福を受け、快然と無縁坂を下る。
試験が終わったのだ。
東京大学の期末試験は、檜舞台であり戦場でもある。その空気は冷たく引き締まっていて、誰しも地域の雄として東京に出ているのかと思うと自然とペンを握る力も強くなる。
試験時間の100分のうち、最初の30分と最後の30分は退出を許されていない。
しかし、その間の40分は早く終わった者や諦めた者は退出できる。
今日は早めに退出した。
出来が良かった。閃きがあった。
王冠が純金製かどうかを壊さずに確かめる方法に悩んでいたアルキメデスが、風呂に入って湯が溢れ出るのを見て思いつき発した「エウレカ」或いは「ユリイカ」という言葉は有名であるが、このように閃きとはいつ訪れるか分からないものだ。
一方で、高校の短期留学プログラムでシリコンバレーの企業研修に参加した際に学んだデザイン思考のように、こうした閃きを作為的に生み出す方法もある。
「天才とは、1%の閃きと99%の努力である」
発明王と呼ばれたトーマス・エジソンの"努力の美談"として語られている名言がある。
実際の発言内容は異なっていたと後にエジソン本人が語ってはいるのだが、自分は"1%の閃きに対し99%の努力を苦と感じず続けられる人こそが、天才である"という解釈をしている為、この名言に対しては好意的である。
エジソンの「1%の閃き」の発生要因の配分はアルキメデス的なものであるか、はたまたデザイン思考のような努力によるものかなどと思索を巡らすが、兎にも角にも閃きに欠かせないものは糖分であり、使った分は補給しなければならない。
そうだ、今日も米を炊こう。
それも土鍋で。
昨晩スーパーで安く手に入れ醤油、酒、塩胡椒、生姜ニンニクで漬けておいたホタテを冷蔵庫から取り出し、唐揚げにする用意を始める。夏が近づいてきて浸水時間が短くなった分、手際よく準備を進める。
といっても片栗粉をよく絡めて揚げるだけであるので、あとは揚げるだけのホタテと油を用意し、座椅子に腰掛けベランダの奥の空を眺める。本当にいい天気だ。
今日炊く「青天の霹靂」は元々は晴れ間に突然起こる雷という古代中国の詩に由来する古事成語であるが、現在では「寝耳に水」や「予想外の衝撃」といった意味の慣用句として使用されることが殆どである。
とはいえ、字面や音の響きからの連想なのだろうが、雨続きの曇天に一瞬見ることのできた晴れ間を青天の霹靂と呼びたくなるのは自分だけだろうか。
浸水が終わり土鍋に移し、タイマーをセットして火にかけ、同時にホタテの唐揚げも揚げ始める。
あと数個で挙げ終わる頃にタイマーがなったので、再びタイマーをセットし米を蒸らす。
全ての用意を整え、試験を終えた心身を労う食卓につく。
いただきますと小さく呟き、米をつまむ。
大きく、輝いた一粒一粒を口内ではっきりと認識できる。やはり普段食べている米とは別格である。しばらく噛んでいるとその粒だった米から強いコクを感じ取った。
久々に米の甘み、甘み、匂いをひしひしと感じ、みるみる脳に運搬される糖分を想起した。
ホタテの唐揚げなど米のアテと食べると、また一つ違う側面を見せるのもブランド米らしい所である。
しっかり下味のついたホタテの味蕾にガツンとくる旨味を優しく包んだかと思うと飲み込むその瞬間には喉越しの虜になっている。
また新しい気持ちでホタテを口に入れ、米を放り込むとホタテの独特な旨みや匂いがすぐにまろやかになり、飲み込む瞬間には米の従僕となっている。
暫くの間それを繰り返し、気づけば皿は空になり、体は養分に満ち満ちていた。
おこんから貰った米が「美味い」という事は食す前から分かり切っていたのだが、アテとの相性や食した事で得た心身への癒し効果はまさしく青天の霹靂であり、いつも以上に食後の余韻に浸る事となった。
この「青天の霹靂」の「青」は青森の青、「天」は遥かに広がる北の空、「霹靂」は稲妻を表し、晴れ渡った空に突如として現れる稲妻のような、鮮烈な存在になりたいと考えて名づけらたそう。
実際「青天の霹靂」は特Aを受賞しており青森で開発された品種の中で一番おいしい品種だそう。
寒冷地独特の悩みである「低温」との闘いで生まれたこの米は病気に強い品種でもあり、寒冷地ゆえに虫の発生も少なく農薬を減して栽培することで安全な米づくりを徹底していると聞く。
青森の叡智で生まれた青天の霹靂は血となり肉となり、明日の自分へ閃きを与えるだろう。
エジソンの名言を借りるなら、天才とは1%の米と99%の努力である。