暫く、日を見ていない。
ここ数日の、傘もいらない程度の小雨が降り続く実に五月らしい長雨が少しずつ心にもやをかけている。
キッチンカーが目に入った。学食の行列や人混みを忌避したい際や、日々の昼食に新しい味が欲しくなった際に利用しているキッチンカーであるが、今日のそれは心なしか寂しげである。小走りで駆け寄る学生達の中には留学生の姿が目立つ。自国の食事を味わう事でやはり曇った心を慰めようとしているのだろうか。
「亡命ロシア料理」という1977年に現ラトビアから米国に亡命したユダヤ系の批評家2名のエッセイがある。
ロシア文学を読む際の参考にと以前手に取ったが、亡命先である米国での生活の自由を褒め称えつつ、ジャンクフード食と共存するダイエット文化を容赦なく斬っていく様子は痛快そのものであり、またソビエト政府を皮肉で貶す一方で故郷の料理を懐かしみ想いを馳せつつ手に入る調味料で最大限に愛し作る2人の知的引用とブラックユーモアと自虐に溢れる文章が魅力的な1冊だ。
作中にこんな文章がある。
「現代という実在的孤独の時代に、濃厚な、あつあつのスープの入った鍋ほどしっかりとした礎はない。」
鍋ならば自分も所有している。
中身は太陽に勝るとも劣らないまばゆさを放つものだ。
今日も米を炊こう。
それも土鍋で。
気分が落ち込んでいる時にこそ、美味しい米を炊く。輝く米を見れば、心が晴れる。
炊くのは佐渡総合高校が育てたコシヒカリの熱血青春米。心のもやを吹き飛ばすのにもってこいのネーミングである。
梅雨寒の今日は浸水は長めに50分ほどにし、その間に米を際立てるアテを用意する。
冷蔵庫を開け、すぐさま好物である揚げ出し豆腐と揚げ茄子に心を決めた。
半分にした茄子に十字の切り込みを入れて水にさらしアクを抜き、その間木綿豆腐を一口大に切り分け水気を取っておく。つゆは水、めんつゆ、みりん、砂糖、白だしを混ぜたものをラップにかけ、レンチンする。アクの抜けた茄子と水気の取れた木綿豆腐に片栗粉を振りかけているうちに50分が経過したので、米を火にかけた。
例によって12分のタイマーをセットし、その間に豆腐と茄子を揚げる。縦並びの2口コンロに土鍋と大きなフライパンは併用出来ず、小さなフライパンで少しずつ揚げていると、タイマーがなった。米を蒸らしの工程に入れ、揚がった豆腐と茄子につゆをかけ、鰹節と刻み葱をトッピングした。
蒸らしが終わり蓋を開けると、期待に満ちた真白い明るさが広がった。
心頭にすでに雨の煩慮などなく食欲の奴隷となった自己を認識し、しかし恥じることなく本能のまま茶碗によそう様は、かつて野球部だった頃の育ち盛りの自分そのものであった。茶碗いっぱいの米と好物の揚げ出し豆腐、揚げ茄子を前に我慢することなど至難の業であり、いただきますも適当に大口で米を出迎えた。
噛む前から形容し難い芳醇な香りが鼻腔を刺激し、ますます食欲を掻き立て口の動きはいつもの数倍の速さとなった。噛むとストレートな甘さが脳を喜ばせ、強い粘り気がもう一回、もう一回と顎を動かす原動力となる。
揚げ出し豆腐と揚げ茄子との相性はどうかと、鰹節と刻み葱を絡ませ米と共に口に放り込む。鰹節でブーストされ出汁の効いたつゆに、しゅんだ豆腐、茄子の食感が刻み葱に支えられ味覚、食感ともに満点を叩き出した。アテに敗北を喫するかと一瞬頭をよぎったが、すぐに熱血青春米が巻き返してくる。
佐渡総合高校の米にかける熱量をそのままに伝える米の出来栄えに素直に驚いた。
お立ち台に上がったのは米の粘り強さである。この熱戦を制する決定打を放ち、シーソーゲームとなった今日の夕食に終止符を打った。
満たされきった食後、これ程の米を作り出した佐渡総合高校の事が気になり調べてみた。コロナ禍に世界が沈んでいた2020年から新たに始めたSDGsの取組みで、アフリカの子どもたちのためにネリカ米を無農薬・無化学肥料で栽培、収穫し、ザンビアの孤児院に寄付をしたという。しかも寄附するだけでなく、ネリカ米の生産マニュアルを孤児院に提供し、現地(ザンビア)での持続可能な生産体制構築に貢献しているというのだ。これらの功績は、第2回新潟SDGsアワード「大賞」、STI for SDGs アワード2022「次世代賞」、第1回東京農大SDGsコンテスト「最優秀賞」など、SDGs方面に確実な結果を残しており、大いに驚かされた。この素晴らしい若い力に期待を持たずにはいられないと感じつつ、彼等に刺激を受けている自身を同時に自覚した。
思わず新鮮な空気が吸いたくなり窓を開けると、長雨の一瞬の間の匂いがした。